“厳かな生活”とは・・・?
『人生の自由研究』へようこそ。
オーストラリアに渡航すると決まってから、ここ数日の間に友人と会う機会が増えました。
様々な思惑が錯綜する中で、いろいろな会話をするわけですが・・・。
一つ気になった言葉を言った友人がいました。
その時たまたま “お金” の話しになったわけですが、自分はこの時・・・
「自分は、これから “お金持ち” になって “好きなこと” をして生きていく」
と話しました。
友人はこの話を聞いてこう答えました。
「 “厳かな生活” をしていれば、そこそこのお金があれば十分だよ。」
「みんなが、お前みたいに“お金持ち”になりたいわけじゃない。」
・・・確かに言いたいことは分かります・・・。
今の生活に “満足” しているのであれば、今の “安定” をわざわざ手放す理由もないわけですからね。
しかしながら “厳かな生活” と言う言葉に釈然としない自分は、ちょっとだけ調べてみました。
辞書にはこう書かれていました。
『厳か(おごそか)・・・重々しくいかめしいさま,礼儀正しく近づきにくいさま。威儀正しく威厳があるさま。』
なるほど・・・。
彼の言う “厳かな生活” とは恐らくは、こう言うことではないか・・・と解釈しました。
『無駄なことは省き、厳格に規律正しく生活すること』
いかにも “彼らしい” 考えだと思いました。
ちなみに彼とは、入社以来28年間の付き合いになります。
『絵にかいたような真面目』な彼とは、度々意見の食い違いがありました。
とはいえ同じ環境に身を置くからこそ、理解できる部分もあったわけです。
しかしながら、これからは全く違う環境に、それぞれが身を置くことになります。
『絵にかいたような真面目な世界に生きる彼』
と
『絵の中にあるような冒険と好奇心の世界に生きる自分』
・・・もしかしたら、自分が勝手に “線引き” しているだけかもしれません・・・。
ですが、自分は感じるのです。 もう、『同じ価値観のレール』を歩くことは無いと・・・。
妻もこんなことを言っていました。
「自分の言っていることが、他の人達に理解してもらえないことが多くなった。」
と・・・。
もう、彼の目には “厳かな生活” とは程遠い “自由奔放で破天荒な生活” にしか映らないでしょう。
そういえば、こうも言っている人がいました。
『進む道が分かれると、“魂レベル” や “波動” が近い人間しか近づかなくなってくる』
もはや、自分も『進む道』が分かれた人間であります。
人に合わせるのが苦手な人間は『独自の道』を歩むしかありません。
これから、ますますそう言うことが多くなっていくかもしれません。
しかし、自分は『自分の道』を進んで行くと決めたのであります。
一年後、オーストラリアから帰ってきて、みんなの目にはどう映るでしょうか。
そんな風に考えた次第であります。
では、また (=゚ω゚)ノ
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