進化する『人工知能』と、”人間性”を失う『人間』・・・。
『人生の自由研究』へようこそ。
今回のお題は『人工知能』について書きたいと思います。
ある意味、今一番の話題かも知れません。
実は先週から、このことを書きたくなるような “キーワード” が続け様に飛び込んできたからです。
どちらも今後の『人工知能』と『人間』との関係を考えさせられる内容で、どうしても書かずにはおれない衝動にかられてしまいました。
ですので最初にお断りしておきますが、支離滅裂な文章になってしまうかも知れませんし、かなり自分なりの解釈で書いている部分が多いので、そこはどうかお許し下さい。
さて、最初の ”キーワード” は、先週末の会社帰りに、ラジオで何気なく聞いていた番組で、『人工知能』の第一人者である『松尾 豊』氏の講義の放送でした。
非常に興味のある内容でした。
『人工知能』にまだ不可能で、人間にしか出来ない思考のメカニズムを解説していました。
そこで最初の ”キーワード” である『抽象化』という言葉が出てきました。
それは、どうもこういう事らしいです。
『りんご』という一つの物に対して、人間は頭の中で “過去に経験したりんごの情報” から味や形などをイメージして、尚且つ言葉で説明できるのだそうです。
しかも、さまざまな形のりんごと紐付けして情報を引き出せるらしいです。
例えば、『りんご』と言う言葉から、ジャムや有名な産地などを “イメージ” することが出来ます。
『抽象化』とは物事の共通項をから答えを導き出す能力・・・らしいのです。
しかし『人工知能』は、まだこの段階には至っていないという話しでした。
人口知能は、今ある情報以上に他の情報と紐付けして、イメージを拡大することが出来ません。
そう、何かの情報から “想像” したり “イメージ” したりが出来ないのです。
そこが『抽象化』であり “人間らしい考え方(人間性)” でもあります。
それが人間にしか出来ない強みなのです。
しかしながら今現在、その “人間らしい考え方(人間性)” が失われつつあるように感じられます。
何かの物事に関して、“想像” したり “イメージ” したりが欠如している人間が多くなっている気がするのです。
ここ最近の事件が、如実に物語っている様に感じます。
もう一つの ”キーワード” として、『人工知能』の未来を暗示するような映画をいくつか見ました。
『ブレードランナー』
労働用に作られたレプリカント(人造人間)の抗争を描いた作品です。
もう、35年も前の作品になります。若かりし日の『ハリソンフォード』が捜査官役を演じています。
『チャッピー』
劇場で『第9地区』を見てから、この監督の作品のファンになりました。
成長するAIを移植された警察用ロボットの、葛藤と生き様を描いた作品です。
チャッピーのロボットでありながら、彼の純粋な心に ”涙” しました・・・。
『イヴの時間』
家電化したアンドロイド達の本音が聞ける、不思議な喫茶店『イヴの時間』。そこでの、人間とロボットの心の触れ合いを描いた作品。
良い映画です。泣けました・・・。
これらに映画に共通するのは、まさに『人工知能』を搭載したアンドロイドであります。
それぞれの映画に登場するアンドロイドは、人間と同じ思考を持ち、人間を超える能力を有しています。
その “人間と同じ思考を持つ” がゆえに、人間に排除されようとします。
人間の身勝手な考えに翻弄されるアンドロイドたち・・・。
まさにこれらの映画に登場する人間たちは “人間性” を失った生き物に成り下がっているのです。
確かにこれらに関しては、まだまだ想像の産物ではあります。
しかし、ここ最近の人工知能の急激な進歩は、いずれ人間に限りなく近づくのではないか・・・そんな風に感じずにはいられません。
人間の失いつつ “人間性” を人工知能が手に入れたとしたら・・・。
その時、人間は “人間らしく” いられるのでしょうか・・・?
自分達を超えようとする物(者)たちを排除しようとするのでしょうか・・・?
自分は思うのです。
人間同士で排除し合うことの絶えないこの世界で、この先本当に『人口知能』が必要なのかと・・・。
もしかしたら、電卓だけで十分だったのかも・・・と思うかもしれません。
そもそも、こんな時代は一生訪れないかも知れません・・・ね。
👇以前書いたブログです。覗いてみて下さい。
【『人工知能』が人間に何をもたらすのか・・・。機械が人間に近づく日・・・。】
では、また (=゚ω゚)ノ
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